2009年7月 5日 (日)

アメリカにて その4

今日はアメリカの独立記念日に当り、ここディビスでも多くのエベントが催されています。

さて、中断が長くなりましたが、ワシントンでは、独立宣言の起草者となったジェファーソンはポトマック河畔に、ワシントンメモリアルと並んでその祈念施設がありました。この施設の礎石はF.D.ルーズベルトが設置したそうです。

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この後、ホワイトハウスに向かいました。

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アメリカの建国以来、その恵まれた条件を上手く活かし、200年ほど繁栄を続けたのですが、グローバル経済の進展と共にその地位が低下する一方、自由主義経済の保安官で有り続けましたが、冷戦の終了後は必ずしも「チェンジマインド」が浸透しておらず、バランスが崩れているように思われます。

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これを直していくには、既存権益の中でも最も保守的な部分にまでもメスを入れるということも視野に置きつつ、勢力範囲の維持拡大という冷戦自体の国益概念から、国民の利益という観点にその重点を移していく必要があるのではないでしょうか?

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ここカリフォルニアにおきましてインテルの成功を見ました時に、その経営に見習うべき点が多いことを知りました。

そして同時に、日本の親切さ、優しさ、勤勉さ、細かさという美点が、他の民族には容易に真似のできない競争力を生んでいるのではないかという気も致しました。

今アメリカでは、2百年祭以後に生まれた若者が大学に来ていますが、この不況にも関わらず、スチューデントローンなどを利用して海外旅行に行く人も多いようです。これは、

ある意味で彼らにとって良き経験となるかもしれません。

偉大なるアメリカから出ることによりアメリカを外から見るチャンスであり、自分一人で旅をすることの大変さと喜びを味わうことが出来るからです。

そしてその経験が、「アメリカの再生」の為に、Reunion をする上で生かされることを期待したいと思います。

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私は、自らの事業分野を検討しました結果、文筆業に専念することに致しましたので今回を持ちまして、「口外録」における記事の掲載を終わらせて頂きます。

長年に亘りまして愛読ありがとうございました。

新作が出来ましたら、こちらにも掲載させて頂きますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009年7月 3日 (金)

アメリカにて 番外編 その2

デイビスに着きまして、10日ほど経ちました。昼間続いていた猛暑が一服しました。朝晩は20度前後に下がりますので、思いのほか過ごし易く、雨がほとんど降らないほど乾燥していますので昼間も木陰に入りますと汗をかくことはありません。

大学町ですので、若者が圧倒的に多いのですが、日本と比較しますと夏休みシーズンにしては多すぎるのではないか?という気も致します。

ここは農学部が中心ですので、キャンパスの一角に牛や馬が居たり、実験農場が広がっています。公園にも、色々な草木が植えられており、リス、ビッグバニーとコットンテール、リス、地リスなども多くみられます。大木が育っていますので、名も分からないような鳥達も多くいます。

難点は、キャンバスが広い為、自転車で移動せざる得ず、且つ昼間は大変暑い為、鳥の姿も見られないということになります。

こちらでは、インディペンデンス・デーの休日ということで、あちこちでフェスティバルが繰り広げられるようです。

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2009年6月20日 (土)

アメリカにて その3 Washington D.C. 1

今日は、好天に恵まれた中、ワシントン市内の見学に出掛けました。

Why not go sightseeing Washington D.C. joyfully in the grace of good weather today?

地下鉄に乗って スミソニアンプラザから 名所を訪ねます。

From the subway station of Smithsonian Plaza,  to the Sacred  area of this Great country!

先ずは、ワシントンモニュメントを目指しました。

Among other sights, Washingon Monument is the very first !

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ここから、キャピトルヒルとリーンカーンメモリアルが望めました。

Both the Capital Hiill and the Lincoln Mermorial  is in a  marvelous sight.

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夏休みシーズンとあって、子供連れや学生が多く来ていました。

In summer vacation season,  I  share this beatiful scenary with many family visitors and students fortunately.

ここから、子供の頃から尊敬しました リーンカーンメモリアルを目指しました。

The moment  of my  great pleasure to visit the respectful  Mr. Lincoln's  Memorial is starting from here.

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第二次大戦の戦士を記念した噴水と鴨達の休む池を過ぎると、正面の階段では 学生達がコーラスを披露していました。

Passing the memorial fountain of the World War Ⅱ and the fond where   the American  Black Ducks are resting ,

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On the front  steps  students  are singing  in  good chorus for his honor !

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彼が休んでいたのは、荘厳な白亜の神殿様式の建物でした。

Nothing cannot be more magnificent  than   his   cretaceous  templum ,

the sacred safehaven of the spirits of democracy on  earth !

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2009年6月 8日 (月)

ビジネスマン向けの格言

浮利を追わずとは、不利を追わずだ。

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2009年6月 6日 (土)

中曽根ドクトリンの実現に向けて

私は、今振り返って見ると、人生の分かれ道が確かにあるように思われる。

ある方向に向かいたいとは思いつつ、諸般の事情でそちらには行けないことがあった。

それは何故かと言えば、時期がまだ早いなどと思っている内に、また他の欲求が持ち上がってしまい、だんだん実現が出来なくなってしまったのである。

やはり、目標を定めてそれに向けて努力を継続することが実現に向けての早道なのだろう。

その意味で、中曽根さんは目標を定められているのであるから、実現に向けて努力を続けていって頂きたい。

横道に逸らそうという試みがあるかもしれないが、それに挫けず、核廃絶への歩みを着実に続けられることが、真の国益に合致することなのである。

オバマ氏が登場し、核廃絶を目標にしながらも、相手を懐柔することが出来ず、武力による「威圧と対話」を続けるとすれば、それは冷戦時代と何ら変化は無いことになるだろう。

結果は、「窮鼠猫を噛む」である。

冷戦時代の日本は、中国、ソ連、北朝鮮という共産主義国家に囲まれ、同盟国は韓国、米国、台湾だった。

その中では、「核の抑止力」という傘が必要だったのだろう。

しかし、中国が開放政策に踏み切って既に久しく、ベルリンの壁が崩れたのも既に一昔前である。

そのような中で、北朝鮮に武力で開国を迫る必要があるのだろうか?

国際的な法による安定した秩序は、自己を客観視して、相手の立場を理解することが必要であり、冷戦時代の発言を今引用するのはアナクロ二ズムである。

危険な「瀬戸際外交」という火遊びを続ければ、花火が暴発する危険がある。

「安全保障理事会」の常任理事国を目指すならば、平和的解決によってその外交手腕を示される良き機会になるだろう。

「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである。

一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例として袖の下で笑っていることだろう。

西洋人は、日本が平和な文芸に耽っていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに、満州の戦場に大々的な殺戮を行い始めてからは文明国と呼んでる。」

                                  岡倉天心 「茶の本」

この本の原本は英語で書かれたものだが、帝国主義文明に対して「茶」の効用を説いたその平和的な啓蒙的精神を、私は大事にしたいと思っている。

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2009年6月 5日 (金)

大局観

どのようなゲームでも大事なものはと聞かれると やはり大局観ではないだろうか?

今の状況を分析して次に打つ手を決める時、目前の小競り合いに目を奪われていては、全体としてのバランスが崩れてしまう。

囲碁であれ、将棋であれ、同じように思われる。

ところが、過去に高い勝率を挙げた戦法が有ると、それに固執してしまうことがある。一世を風靡した居飛車穴熊でさえ、対抗する新戦法に、穴熊に固執しては勝てなくなっているようである。

さて、日本、極東、アジア、世界と視野を広げて行った時に、既成概念に囚われると同じ失敗をしてしまう可能性がないだろうか?

「大山(康晴)将棋は型に囚われない。合理的だが、独自の感覚によって指される手が多く、相手は意表を突かれることが多い」      (中原 誠)

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2009年6月 3日 (水)

公正なる判断

政府系金融機関の経営者に対する業績考課として何が公正なる判断だろうか?

仮に民間で持ち株会社の代表取締役が、子会社の社長の人事を判断する時はどうだろうか?

競争する会社の業績や不祥事などの度合いを見て、比較するのではないだろうか?

もしそうでなければ、公正な判断であるとは思われない。

A,B,C社を比較して、経常利益などの指標が良ければ、敢えて子会社における人選に反対をする必要は無い筈である。

不祥事についても、他の企業と比較して大きく会社の信用を損なうものか否かを判断するのではないだろうか。

もし、そこに無理強いして、内部抗争が起こり、従業員の士気が衰えれば、企業としてはマイナスになるからだ。

将来この子会社の上場を目指すのであれば、業績が良い程、株価は上る筈である。

親会社の社長は、子会社の社長をしてその手腕をより発揮させるのが、役目ではないだろうか?

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2009年6月 1日 (月)

Exdous from Poverty and ? Part 2-2

人類の歴史において、天災と並んで 疫病が大いなる災いとなってきた。今話題となっているインフルエンザかどうかは分からないが、旧約聖書「出エジプト記」にもそのような疫病が記載されている。映画「十戒」にもそのようなシーンが登場する。

第九章「主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう。しかし、主はイスラエルの家畜と、エジプトの家畜を区別され、すべてのイスラエルの人々に属するものは一頭も死ぬものが無いであろう」

これは、家畜の伝染病のようである。

何故、イスラエルの家畜は伝染しなかったか?

今日の常識では、家畜の主を認識する病原菌は存在しない。

この旧約聖書が、祖先の業績を美化しがちな傾向を持つとするとある程度納得が出来る面がある。

そもそも、エジプト人の奴隷となっていたイスラエル人にどれだけの家畜がいたのか?

もし、全くいないか、ほとんどいなければ、伝染病にも罹りようが無い。

ほとんどの被害はエジプト人が被ることになった筈である。

さて、インフルエンザについては、有名な過ぎ越しの祭りの起源であるようにも思われるのである。

出エジプト記12「これは主の過越である。その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトの全ての神々に審判を行うであろう。---この日は、あなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭りとして、これを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。7日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。」

イスラエルの人々は、羊の血を門に塗り、その肉を食べて、死の神が通り過ぎるのを免れた。

これは、貴重な財産である子羊が病気になる前に殺し、それで栄養を付けた後、危険な期間は室内に閉じこもって、パンを食べていたとも解釈しうるのではないだろうか?

つまり、前回の疫病で学習をした結果、イスラエル人は賢くも、疫病による被害を免れることが出来た可能性があるようにも思われるのである。

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2009年5月29日 (金)

パンデミックに備えて その1

猛威を奮うかと警戒された豚インフルエンザですが、日本では一応さしたる被害も無く、終息に至りました。

この騒動は、メキシコで数百人が死亡したと伝えられた段階で、強毒性の鳥インフルエンザには警戒していたものの、対象外で有った豚から強毒性のウイルスに進化したのではないかとの、ショックが世界の関係者に走ったのではないでしょうか。

現地メキシコでは、一旦パニックが起こっていたのかもしれません。

その後、時間の経過と共に感染者と感染国が増えていく中で、ジュネーブにあるWHOとしても、発展途上国に広がった場合の死亡者数の被害を憂慮して、警戒体制を高くしたようです。

しかし、この段階で米国を見ますと、死亡者はほとんど出ていませんでしたので、その毒性につきましては、強毒性と見ることは難しいように思われました。

私は、4月30日付けにて 「ヒステリックな病気!?」として、冷静な事態への対応を呼びかけました。http://kougairoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-37c4.html

5月5日にはカリフォルニア州でも、ほとんど問題視されていませんでしたが、日本では感染国として米国などへの、渡航の自粛などの処置がとられました。

強毒性の伝染病に対する警戒処置の練習となる意味もあるとは思いましたが、衛生状態が良い先進国としてはかなり厳重であったと思われます。

この間の報道としては、WHOのパンデミックに対する警戒処置が報道されており、ややヒステリックなものであったように思われます。

その後、渡航者に関係なく神戸・大阪において高校生が感染したことから、高校・中学のみならず、小学校も含めた休校、エベントの自粛などが実施されました。

この間、TVではインフルエンザ患者の数の増加が報道されていましたが、季節性インフルエンザとの発生数、被害の程度などは報じられていませんでした。

この段階で、国立感染症研究所のHPを見てみますと、その発生数は季節性インフルエンザの1/10程度で、感染力も低いものであると考えられました。

5月19日付け「インフルエンザの患者数」にて、その例をご紹介しました。

http://kougairoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-d34e.html

そして、折からの不況で経済活動や教育に及ぼす影響が大きい点から、大阪府知事などの陳情を受け、厚生労働省もその対応を季節性インフルエンザ並みにと引き下げました。

京都や有馬などの観光地などは、かなり訪問客数が減少した模様です。

さて、日本においてある意味で過剰なまでの警戒を行った要因として

1.メキシコの死者数が多かったので警戒した

2.WHOが警戒を強く呼びかけた

3.長寿を願う国民性から、健康・衛生に対する関心が強い

4.少子化により子供を大切にする

5.中国、香港の厳重な警戒に対する競争意識が働いた

6.企業を含め、リスク管理の意識が強い

7.不況下閉塞感が強い中、毒性が弱い為、騒ぎを楽しむゆとりがあった

8.強毒性の場合の演習とした

という観測も可能かと思われますが如何でしょうか?

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2009年5月27日 (水)

党首討論と民主主義

総選挙を控えた時期の党首討論として、今日の放送を見ました。

議会制民主主義の手本とされる英国の議会においても、党首間のやりとりが最も注目されるようです。

本日は、相撲で言えば差し手争いから、議論の争点の提示と反論、再反論という技の応酬、そして其々の論点の整理と要約から構成されていたようです。

この場を、言論を通じて繰り広げられる、政権政党への戦の場と位置づけるならば、本日の討論は双方において、その主張する位置の差を十分国民に認識させうるものであったと評価できると思います。

相手の弱点を突くオフェンスと自分の弱点を守るディフェンスの完成度を見る上では、普通の国会質問よりも自由度が大きく、興味深いものでした。

(差し手争い)

鳩山氏ーーー北朝鮮核実験ー中国、米国にのみ事前通知

麻生氏ーーー機密情報として明らかにしないことが国際慣習

鳩山氏ーーー洩れているのは情報管理に問題がある。

(各党の主張)

鳩山氏の主張ーーー理念ある政治「友愛」---国民間に失われている絆を回復する

             3年後企業献金の禁止

             官僚政治の打破ーーーNPOなど市民参加の動きを活かす

麻生氏の主張ーーー理念よりも現実の重視(経済、安全保障)

             政治資金法の献金禁止の遵守

             公務員に働いて貰う

(政治献金問題)

鳩山氏ーーー企業献金自体が問題

麻生氏ーーー小沢氏の秘書のように違法献金を受け取ることが問題

鳩山氏ーーー秘書は保釈後「違法性の認識」を否定。決着は法廷で付く問題。

        小沢氏の説明責任は「内部審議」資料を公表する。

麻生氏ーーー「違法性の認識」は本人の「有責性の認識」とは異なる。

(補正予算問題)

鳩山氏ーーー百年に一度の不況に補正予算を実質審議無しに可決したが、予算の中

        には通常経費の何倍の予算額が計上されている。NPOによるお金を掛け

        ない教育(ボランティアによる落ちこぼれのない小学校)。

麻生氏ーーー継続的な予算処置と非常的な処置の違い(と言われたようです)

        NPOの一つの例で、全体に適用できるかは疑問。

         

(天下り問題)

鳩山氏ーーー以前と天下りが減っていない。

麻生氏ーーー法律上の経過処置として、3年間は認められている。

鳩山氏ーーー天下り団体に多くの予算が使用され、その半分が随意契約である。

(総括)

鳩山氏ーーービジョンのある政治、官僚政治の打破

麻生氏ーーーより具体的な政策についての議論をする必要がある。

こう申しますと失礼かもしれませんが、野党としての国民の不満をぶつけるような従前の議論に比べますと、随分と政権政党を目指す党としての主張が明確になってきたように思われます。

唯、選挙民としては、政策面の違いが国民生活のどのような影響を及ぼすかについては、討議時間が十分ではなかったせいか、議論がされなかったように思われます。

国際的な視野、歴史的な位置づけ、技術的な問題などについても含めて頂ければ、尚一層興味深かったと思われます。

今後別の機会に、野次が飛ばないような場での政策討議がされれば、選挙の行方を左右するような重要な情報を提供することになるものとなるでしょう。

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2009年5月25日 (月)

Exdous from poverty and ?

Exdous9:

The Lord said to Moses,"Go to the king and tell him....I will punish you by sending

a terrible disease on all your animals-your horses,donkeys,camels,cattle,

sheep,and goats......"

Why are 'nt there  pigs and fowls ?

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2009年5月23日 (土)

醒めない情熱

新製品が世に出るまで、そこには男達に熱い苦闘が有った。

「ガイアの夜明け」を見ると、夜遅くまで奮闘努力した結果が、情熱と愛が生み出すものが分かる。

その例が、プラズマディスプレイに掛ける篠田さんという卓越した技術者の立ち上げた新会社の製品だった。

液晶、有機ELと競争環境が厳しい中で、生き残りを掛けた男達の戦いが続いている。

新奇性が高いものが好きで、流行に敏感な若者は、今や、設計・開発のみ自社で行い、大手メーカーの生産ラインや中国で委託販売する、お洒落な製品に注目しているようだ。

日本の家電製品は優秀だが、時には優秀すぎることもある。

過当競争により、消費者のニーズを超えた新製品が出ては消える。

普通のユーザーが使うのには、一定の学習が必要だ。

ビジネスに関連する製品は止む無く学習するかもしれないが、娯楽用品はどうだろうか?

それ以外の一般のユーザー、例えば電気のアンペア、抵抗、などに疎い中年主婦層などには複雑過ぎて手が出ないのではないだろうか?

新製品に買い換える為の製品選び、使用方法などの負担は、携帯、PCだけでも結構大変だ。

消費者のふところを狙うなら、それなりのソフトな工夫が必要だろう。

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2009年5月22日 (金)

裁判と正義ー裁判員制度の発足

すべての国民にとって良い統治とは何でしょうか?

それは、いわれなく暴力を受けず、拘束されず、平安に生活する権利が保障されるということであることは、世界中で共通することでしょう。

歴史を紐解けば、人類は自然との戦いの中で、集団としての社会生活を選択することにより、徐々に自然界の覇権者となることが出来ました。

しかしながら、天災などにより農産物の収穫量が変動したことや、疫病などにより、人類は時に暴力的な侵略を受け、それに対する自衛として、防衛体制を整備した国家へと自らを組織化していったのです。

このような過程で、自然法的な法理から、組織を維持する為の法、より効率的で安全な社会を形成する為の法など、人類の進化に伴って、正義と法も発展してきたと見ることが可能でしょう。

西洋社会における法の発展とわが国の法との間では、社会の発展の過程が異なっていますが、より合理的な価値の体系を導入することにより、社会の発展の基礎とするという立法者の方々の進歩的な考え方により、より洗練された法体系が整備されたきたと言っても少しも過言ではないでしょう。

この度の裁判員制度につきまして、自らの経済活動などに直接関係ないことや、普段馴染みの無い刑事事件であること、専門知識が無いことなどから、裁判員になることについて消極的な方々も多いように見受けられます。

しかしながら、この制度自体としては、裁判権という、国家が専有していた権利に参加しうるものであり、市民権の拡大であると言えるのではないでしょうか?

従来は間接的に最高裁判所判事についての賛否投票と以外には無かった、裁判官というプロにより形成されてきた法廷での処罰の妥当性について、直接意見表明の権利が与えられたとさえ言えるかもしれません。

そのように捉えれば、裁判員になることは積極的に「生きた法の形成」に参加することが出来る貴重な機会と言えるでしょう。

「最高権力を持つ人民は、彼が良くなしうることはすべて自分の力でなすべきであり、彼が良くなしえないことはそれを彼の職務執行者を通じてなすべきである。」

モンテスキュー「法の精神」

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2009年5月21日 (木)

今日の名言

愚人より称賛されることも有り、また識者より非難されることも有る。

愚者より称賛されるよりも、識者から非難されることの方が優れている。

                                 (レーヴァタ)

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2009年5月20日 (水)

行政の監督権と経営

自由主義経済において、民間企業に対して、行政が監督権を行使することが妥当性を認められるのは如何なる場合だろうか?

これについては、三権分立の議会制民主主義においては、当然、公法の立法上の趣旨から判断されるべきことになるだろう。

企業が国民生活上に危険を及ぼす恐れがある場合や、不公正な競争により国民に不利益を及ぼす場合、労働者の権利を保護する場合など、数多くの場合がある。

さて、現在国会で議論されている 日本郵政株式会社の場合はどうだろうか?

かんぽの施設売却に当たる入札の妥当性が、日本郵政株式会社に不利になっていたとされているようだ。

だが、その入札の方法そのものが、民間では考えられないような入札者に不利になっているものではなかっただろうか?

最も資産価値の有るものを入札対象から土壇場ではずすと言う行為自体は、入札者を募集しておいて「目玉商品は売りません」ということになる。不動産業界で言う「釣り広告」物件である。広告に釣られた客に、他の物件を売るのである。

その意味で、詐欺的だと言われても仕方が無い方法だったと思われる。

そして、その資産価値も、雇用を維持しながら不採算資産を売却するとなれば、入札者が後ずさりをするようなものだと思わざるを得ない。

だから、一端入札した業者も止めてしまったのでないだろうか。

このようなビジネスの方法は、国際的に見れば透明性が高いとは評価されないものだと思われる。

東京中央郵便局の立替問題も、民間企業から見れば、単なる資産の更新投資であり、その有効活用を図ることは当然である。このような問題に何故、総務省は監督権を振りかざす必要があるのか?

一端は民営化したものの、民営化による変化に不満を持つ層から反発が表面化したのであろうか。

地方在住者から見ると、このような「悪党征伐」は、どうも江戸の気風を受け継ぐ庶民向けのスケープゴート作りとしか思われない。

もともと骨太の改革として掲げた「郵政の民営化」には、相当の軋轢が予想された筈である。

郵便小包と宅配便、宅配メールと郵便、簡易保険と銀行窓販保険など、経営環境は厳しくなっているのではないだろうか。金融機関の生き残り競争は非常に激烈なのである。

企業の体質変化には十年程度は必要と思われるが、そのような改革過程で出てくる不平や不満に路線を変更していては、改革が後退するだけでないだろうか。選挙対策で、「骨太」を変更するのなら、それは「弱腰」だと言われても止むを得ないのではないだろう。

監督権を発揮されるのなら、市場経済下で利益がより向上すると民間経営者が認められるような経営計画を提示されることが、合理性が有り、納得性が高いゲーム戦略と言えるだろう。

「戦略を策定・再構築するという課題は多くの場合、組織的課題であり、リーダーシップに大きく左右される。」 M.ポーター

「敗北する戦略家はまず戦闘を行い、それから勝利を収めようとする。まず、勝利を確実にする計画を立て、それから兵を率いるべきである。」 孫子

「今日では企業には二種類しかない。俊敏な企業と滅び行く企業である。」

A.グローブ

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2009年5月19日 (火)

Exdous from Poverty and? Part2

人類の歴史において、天災と並んで 疫病が大いなる災いとなってきた。今話題となっているインフルエンザかどうかは分からないが、旧約聖書「出エジプト記」にもそのような疫病が記載されている。映画「十戒」にもそのようなシーンが登場する。

第九章「主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう。しかし、主はイスラエルの家畜と、エジプトの家畜を区別され、すべてのイスラエルの人々に属するものは一頭も死ぬものが無いであろう」

これは、家畜の伝染病のようである。

何故、イスラエルの家畜は伝染しなかったか?

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2009年5月17日 (日)

今日の出会い

今日は雲行きが怪しい中、神戸市北区のJR道場駅に8:30AMに集合しました。

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左から4番目の男性がリーダーの梅田さんです。右から2番目に隠れて見えないのですが、もう一人のリーダー山村さんです。

暫らく天候を見た上で、出発しましたが、コースは天候を見ながらの判断でした。

河原では、オオヨシキリが盛んに囀っていましたし、雉も声だけではなく、遠くに姿を現してくれました。

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花ウドに止まるオオヨシキリです。

声だけですが、ウグイスとキビタキが美声の競演をしてくれました。

ダイサギ、ホオジロ、ハシボソカラス、コチドリ、イカルチドリなども確認されました。

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ホオジロです。

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ご近所のご婦人です。

その後、塩田神社で早めに休憩して昼食を済ませた後、アマサギを訪ねて、田植えの準備をされている田んぼの中を、強風にもめげずに進んで行きました。

この途中、電線にモズが姿を現してくれました。

帽子を飛ばされる人が続出する中、終に、アマサギを見ることが出来ました。田んぼで餌取りに専念していたので、ゆっくりと堪能することが出来ました。

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アマサギ (Cattle Egret)です。

ご近所の方だと思いますが、このような鳥バカを珍しく見ておられました。

その後、里山に散在する家々の間を縫って、JR道場駅に戻りますと丁度予定の13時でした。

リーダーの方々、どうもありがとうございました。他の方々にも、カメラや鳥の餌など色々教えて頂きました。

日本野鳥の会 兵庫県支部のHPです。探鳥会の予定など関心のある方はどうぞ!

http://homepage1.nifty.com/wbsj-hyogo/

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時事寸評

豚インフルエンザに関する各国の対応には温度差がある。

メキシコ    豚インフルエンザの死者が最初は極めて多く報道された。この為 外出禁止令などが出された。

香港・中国   非常に厳重な警戒態勢

日本       しっかり油断の無い警戒態勢

米国       神経質ではないが、一応の警戒の姿勢

Wikipediaによると米国では、過去に豚インフルエンザ騒動が有り、保険当局の勧告でワクチンを打ったところ、30名も死者が出て、4000万名で中止した。病気による死者は1名だった。

一方、中国・香港はSARSでは多可を括ったところ、多くの死者を出したので、当局としては油断をする訳には行かなかったようである。

今回のウイルスが弱毒性であるが、漏れの無い警戒を行うと言う行政の姿勢は、国民としては評価に値することは言うまでもない。

が、法の執行として考えた時に、どのような処置を講ずる必要があるのかと言う点については、その合理的根拠が明確に開示されていないように思われる。

毎年のように流行するインフルエンザの場合やその他の病気と比較しての数値データが公表されていないように思われるからである。

高校生では、統計を習得することになっているのであるが、そのような学習が活かされるのだろうか?

伝染病としての取り扱いをする根拠が明確であり、それに伴う二次感染を防止する必要が予防処置により発生する国民生活上の不利益を上回ることが明確である場合にのみ、行政としての強権的処置、乃至は準強権的な処置を行うことが、透明性、納得性、信頼性が高い民主主義的な行政であると言えるだろう。

報道においても、そのような行政当局の対応を導き出せるような客観的な情報の報道を行って頂きたい。

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2009年5月16日 (土)

コアジサシ

上手く言えないのですが、鳥がモデルになってくれる一瞬があります。

言葉は通じないのですが、生命の不思議さですね。

シンパシーと言うのでしょうか?

何々好きというのが、分かるのでしょう。

最近気が合いました。

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2009年5月 9日 (土)

バチカンにて

TVでバチカン美術館を放映していました。

4年前に初めて訪ねました。

大変解説も詳しく、懐かしく、あの素晴らしい芸術を見ることが出来ました。

天井を見ながら、天地創造を描くのに4年の歳月を掛けた ミケランジェロ、その根気には驚きますね。

肉体を描きながら、神の世界を現すということに、ラファエロも、負ける訳には行かないとその技を競っています。

回廊を埋める彫刻も見事なものが多く、ローマ時代の格調を味わうことが出来ました。

是非、皆さんにも実際にその素晴らしさを味わって頂きたいと思います。

余計なことですが、バチカン美術館はサン・ピエトロ寺院とは入り口は別で、地下鉄の駅が有ります。

並ぶの嫌な人は、開館前にそちらから行かれた方が早いですが、開館後は、多くの人が並びますので、寺院から歩いて行っても同じでしょう。

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2009年4月17日 (金)

合理的意思解釈の可能性

今年は大学を卒業してから30年経った。 社会人として、風雨に打たれて、外見は相当くたびれたきている。

大学入学時は、学園紛争は下火になってはいたが、まだ革丸マル派などがキャンパスで気勢を上げていたり、機動隊の車が警戒に当たっていたりした。

この当時は、全くのノンポリであったので、横目で追いかけっこを見ていたものである。

その横のグランドでは、野球部が練習をしていた。

大学紛争当時は教授が吊るし上げにあったりしたということも有り、時にはピリピリした警戒感があった。

これも卒業するまでには薄くなり、学問の府たる雰囲気に戻っていった。

さて、学園紛争が何故過激になって行ったかについては、良く分からない。

社会の矛盾を解決する上で正義感に燃える若者が、当時将来が閉塞的とは言えない国立大学で何故暴力的方法を選択する必要があったのだろうか?

良心的なインテリとして社会を主導するという自覚を有しておられた教授陣の中には、社会の矛盾との戦いの中で無力感に襲われて、孤独感にさいなまれた方も居られたようにお見受けした。

だが、これはやはり若者らしい未熟さからの同情と無力感から生まれた 破壊的な衝動だったのではないだろうか?

何故なら、大学を卒業して社会で働いてみれば分かることだが、安定した法秩序の下で大多数は働いており、暴力的な「お遊び」に同調するものはいないのである。

この暴力的な「遊び」に加わわれば、折角苦労して入った大学での学問と、その将来を失ってしまうのであり、暴力を扇動するだけの「失うものの無い弱者」とは大きな違いがある。

そして「暴力による正義」を肯定するものは、再び「暴力による正義」に屈することは歴史を見れば、明確である。

現実には、種々の利益集団があり、それぞれが色々な思惑で活動しているのであるから、自分の都合に良い理論を主張するのであり、それを平和的に調整していくのが「ペンによる正義」だろう。

大学の学問の進歩は国際競争力の源であるが、当時これに不満を持っていたのは勉学を好まざる輩だった可能性がないとは言えないだろう。

「共産主義」を標榜しながら、暴力という手段を持って、学問という正当なる苦労による収穫を奪い取ろうとしていたかもしれない。

今日、世界不況の中で、ややもすると集団的な政治活動が過激化する可能性が増している。

だが、デモとは、集団的な意見表明の手段であり、集団的な利益の存在をアピールするものだが、他人に暴力的な手段でその不満を解消することを許容するものではないのである。

日本の学園紛争は、今から見れば、やはりそれは民主主義の発展段階において、集団的な政治活動に内在する、行動的な活動家の未熟さが招いた混乱だったと言えるのではないだろう。

「愛国」を標榜する時、どんなことが起こりうるのか?

街頭で「愛国」を叫ぶことは易しいが、具体的に何ができるのか?

不況が長引く時には、時に「英雄」を生むことを欲するような集団的なヒステリー状態が、生じることがある。

それが、ヒットラーであり、ムッソリーニであったのだろう。

これをガンジーが、民衆にイギリスからの経済的自立を勧める手段を導入しつつ、法治主義を利用し、国際的な民族独立の動きを活用したというその視野の広さと忍耐強さを考えると、学ぶべき点が多いだろう。

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2009年4月13日 (月)

The myth  and truth

Beneath the earth,

may we find the truth?

The pith of the myth ,

will be in the wreath?

Since  one miss the  tooth,

shall curse fall on  earth.

                                                     Yoshihiro Nagatani

Copyright retained  by Yoshihiro Nagatani

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2009年4月 7日 (火)

定年と諦念

人より早く会社を退職して既に4年が経とうとしている。

就職して為替のディーリングを経験していた当時には、外資系に転職して高収入を得て、優雅な老後ということを夢見ていた。

ビジネスとしては、ハイリスク・ハイリターンということになる。

度胸が有って、一般の市場参加者よりも知識と経験があれば、そのリスクは減少することになる。

従って、他の職場も経験してからでも良いかなどと考えている内に、転職するタイミングを失ってしまった。

その内に知識欲が高まり、早期退職して実家でのんびりしていると、どうも就職活動をするのが億劫になってきてしまった。

学習したいという意欲もあるが、若い学生と混じるとなるとこれも面倒になってくる。

年金生活も段々近づいてくると、更に億劫になってしまった。

こうしている内に、FXの時代にもなった。

敢えて冒険しなくても、小遣い程度を稼げれば良いかな?

という風に段々面倒になってきて、爺さんぽくなったきた。

諦念の年代になってきたのだろうか?

だが、まだ50台の前半である。

趣味だけに没頭するには、少し早すぎる気もしているのである。

そこで、次のStep をどうするか。

好奇心のまま何でも手を出すのを止めて、やはり少しオタクになる必要があるかもしれない。

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2009年4月 6日 (月)

The Miracle of Manna

How could  Jew  succeed in reaching the promised land without the miracle of Manna?

By the Exodus 15 and16, the manna endowed by the Lord was " thin and flaky."

"It was delicate as frost..."

"It was like a small white seed,and tasted like thin cakes made with honey."

This food was given on the first day  two quarts.

On the six day  given four quarts for two days,Saturday and Sunday.

" The Israelites ate manna for the next forty years,until they reached the land of Cannan."

What was edible in the desert of Sinai ?

Can we trace from the history of Israelites food?

Anyway,we may either think that on the occasion of his first escape from Egypt,Moses had found something edible in the desert,or that he had saved something unknown to Israelites on the way to Egypt.

Lesson: The eminent leader should prepare for the needs of members.

            One had better know the available materials on the way ahead.

By the way ,"a large flock of quails" might have been immigrant birds.

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2009年3月30日 (月)

Riding on camel

Recently I have visited the famous sand hill in Toltutori Prefecure to experience the riding on camel.

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It was a very exciting experince to me.

The name of the camel was  Eikichi.The owner said that it was  named after the great Japanese rock singer  Eikichi Yazawa.

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Anyway the riding itself was not easy enough to make a long journey.

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2009年2月23日 (月)

バードウオッチング

昨週は、国営明石海峡公園神戸地区のあいな里山公園での探鳥会に参加しました。

この公園はまだ開発中です、一般公開はされていませんが、その一部を通ることが出来ました。

リーダーは「神戸市の野鳥」などを執筆されている北野さんで、総勢30名ほどでした。

現地は、緩やかながら入り組んだ地形の里山で、途中 ウグイスやメジロの巣を教えて貰いつつ、楽しく野鳥を観察することが出来ました。

Dsc_0005 画面左端の男性が北野さんです。

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2009年2月18日 (水)

アメリカの良心

今から4年程前になる。

銀行退職するので、世間を知る為に、イタリアとアメリカに出掛けた。

その時に、各地の美術館を巡って、美を探究した。

偉大なる天才達の溢れた ルネッサンスから 印象派、ピカソと見ていった。

アメリカのメトロポリタン美術館では、多くの巨匠の作品にあって、気に入った作品が、この老婦人の肖像画だった。

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華やかさはない。

慎ましく 編み物をする お婆さん(グラニー)だ。

厳しい年輪を刻んでいるが、暖かさが仄かに見える。

清教徒的な雰囲気すらする。

そこに有るのは、家庭を支える良き妻であり、優しくも躾に厳しい母であり、そして教会、コミニュニティの良き隣人である立派な女性である。

西部の厳しい自然に揉まれて、野生に帰っていた女性とは異なり、静かな知性を漂わせている。

今、インターネットに溢れる猛々しいまでに逞しい女性と比べるとどうだろうか?

裸身をさらす小悪魔達の囁きに心を許す時、欲望が理性を覆い隠すことになる。

そして、金色の悪魔に囁きに心が乱れる時、地に悪が広がる。

節制とは過激とは、対極にある美徳である。

人間は時に欲望に負けることがあるが、常に悪しき欲望に負ける訳ではない。

崇高な理想に向かって心を合わす時に、偉大な瞬間が生まれることが期待できるだろう。

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2009年2月 8日 (日)

旧約聖書の謎ーアロンの嘘

皆さんはアロンの名をご存知だろうか?

旧約聖書に モーゼの兄弟として登場する。

出エジプト記4.14「あなたの兄弟 レビ人 アロン」である。

後に司祭階級の祖となる人のようである。

しかし、モーセがシナイ山に篭っていた時に、偽りの神を造ってしまった。

出エジプト記31.2~6:によると

アロンは民の求めに従って、金の子牛を鋳造して、これを神としてしまった。

民はどうも、これを口実にお祭り騒ぎをしたようだ。

そこで、モーゼは山を下って、この「イカレポンチ」を粛清した。

出エジプト記32.35

「そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。」

ここでモーゼはアロンを非難する。

出エジプト記 32.22

「この民があなたに何をしたので、あなたは彼らに大いなる罪を犯させたのですか。」

これに対するアロンの答えが面白い。

「『誰でも、金を持っている者は、それを取り外しなさい』と彼らに言いました。彼らがそれを私に渡したので、わたしがそれを火に投げ入れると、この子牛が出てきたのです。」

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2009年2月 6日 (金)

賢明なる選択

定額給付金なるものをあなたならどうするか?

賢明になる為に投資するか?

賢明にする為に投資するか?

それとも、賢明に見せる為に投資するか?

使い方は、賢明なるあなたに任されている。

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2009年2月 4日 (水)

今日の格言 その3

隣の芝生は、自分で刈らない限り、 青く見える。

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2009年1月26日 (月)

歴史的認識と新秩序

は、戦後のベビーブーム後の生まれで、いわゆる「団塊の世代」の後の「戦争について知らない子供達」になる。

流行したいた音楽でいうと、グループサウンズからフォーク、後期ビートルズ、「サイモンとガーファンクル」ということになるだろう。

子供の時にTVが普及期を向かえ、手塚治虫さんなどの漫画が流行った。

復刻された「ノロクロ」という軍隊犬漫画も読んだ。

親は、数年前に若くして徴兵されたが、インドネシアで捕虜になり帰国した。どうも小説にあるような捕虜生活で、米軍の食料が良かったせいか、丸々太って帰国したようだ。

帰国した時に、長兄である叔父は食料事情が悪かったせいか、病気で死亡しており、子供時代から「悪がき」であった父は、どうも顰蹙を買ったようである。

直接はつらい思い出は話さなかった。

従軍された方で思い出を伺ったのは、高校時代の政経の先生だった。

当時は受験の選択科目ではなかったので、適当に聞いていたが、授業中に中国で従軍された時の話を伺った。

歩兵で進軍されたのだが、「行けども行けども、畑が続いた」ということだった。

私は当時毛沢東に密着取材した米国の記者の本を読んでいたので、中国側が取った

「大長征」という話を知っていた。

どのように長い道を進まれたか?

その道程を進まれた時に、何故ここに来ているのか?という疑問が湧かれたようである。

満州事変が勃発したのは、1931年。

国際連盟脱退が、1933年。

2.26事件が、1936年。

日中戦争が、1937年である。

この前に、1929年の大不況がある。

大不況が戦争になんらかの影響を与えたともいえるだろう。

だが、それだけだろうか?

日清、日露戦争と大国との戦争に勝った破竹の日本は、その勢いを借りて

1910 韓国併合

1915 中国に21カ条の要求

1918 シベリア出兵

と、極東に敵なしの帝国主義的な植民地化を進めていた。

ところが、1920年に国際連盟が発足するのである。

そうすると、日本の満州進出は、リットン調査団が派遣され、問題となる。

日本から見れば、西洋列強は自分の取った「帝国主義的植民地」問題をさておいて、

日本だけを押さえに回ったと取れたのだろう。

戦争で負けたことが無い日本では、弱腰な外交の政府に軍部が反抗することになる。

ハワイに居る米軍と、シンガポールに英軍を除けば、敵になる戦力は居なかったとすれば、その当時の強気の日本の姿勢にも無理がなかったのかもしれない。

だが、西洋列強はその本拠である欧州において、最新兵器を駆使した消耗戦により700万ほどが戦死するという悲惨な戦争を経験していた。

そこで、国際連盟という組織ができたのである。

だが、最も工業力のある米国はこれに参加していなかった。

それゆえに、米国の姿勢としては基本的に孤立主義であり、帝国主義的な意味では「弱腰」であると見られていたかもしれない。

そのような事情があるにせよ、「国際連盟」は「帝国主義的侵略戦争」という「鉄と血」に変わる「新しい国際秩序」であったのである。

だが、不幸にして極東に位置していた日本は、この700万人の犠牲の重みを知りうる立場にはなかった。

「西洋列強の力が引いた今こそ勢力拡大のチャンス」と見たのだろう。

そこに不況である。

いよいよ満州経営というところに、リットン調査団に待ったをかけられたのだ。

「自分達の侵略を棚上げにして、日本を止める権利は無い」ということだろうか、国際連盟を脱退してしまう。

これが当時は格好が良かったのではないか?

何しろ戦争で負けたことがないのだから!

当然、軍縮などには見向きもしなくなる。

しかし、今考えて見ると、やはり「国際連盟」は戦争という惨禍によって人類が愚かな戦争を止めようという歴史的な教訓から、国際法秩序に向けた一歩を踏み出したものであった。

だが、日露戦争以降 は多くの戦死者を出していなかった日本には、このような歴史的な転換の必要は感じられなかったのだろう。

その後、日本は米国の新の実力を知らず、第二次世界大戦へと進んでいった。

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子供の躾と教育

最近、ジージー、バーバーと言われてやにさがっている、ご老人が町で見かけられる。

幼児語でも、孫が言葉を喋ると嬉しいのは人情だろう。

這えば 立て、 立てば 歩めと子供や孫の成長を見るのが楽しくない筈がない。

だが、しかし、甘やかしてばかりいればどうなるか?

親に依存する甘えっ子になってしまう。

世の中には、三つまでは天才が多い。

これは、子供の成長段階で、知能が自然に急速に伸びる時期だろう。

ところが、ここで勘違いをして、褒めてばかりいるとどうなるか?

学習を馬鹿にするようになってしまうのではないか。

そこで親としては、自分の子供を回りと比べて、客観的に評価する必要が生じてくる。

子供は、自分より長生きをするだろうし、して欲しいのであるから、自分が死んだ後も生きていかねばならない。

そうすると、子供が自立した大人にならねばならないから、躾もしなければならない。

爺さん、婆さんになると、直接的な責任は無い。3世代同居も少ないと、躾には口を出しにくいかもしれない。

世間の厳しさと難しさがわかっている年代になると、その当たりをどうしていくか。

全て口移しで教えるのは、幼児の段階である。

人間は甘え出すとキリが無い。

自分の死後も、問題に自分で対処できるようにするにはどうするのか?

時には厳しく突き放す勇気が無ければ、躾は出来ないのではないか?

甘過ぎず、辛すぎず、程よい味付けをどうするか?

母親にはない父親の役割は何か?

皆さんはどうお考えだろうか?

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2009年1月24日 (土)

薄汚いインターネット

薄汚いというのは英語でなんと言うのか忘れた。

インターネットの中で、アダルトサイトなどが問題となっているが、本当に薄汚いというのは、システムを運営していて、人のプライバシーである情報を秘密に横流している連中である。

システムの知識さえあれば、誰がどこにアクセスしているか、どのような記事を見ているかを調べることができるし、その情報を裏で流すことができる。

さらに、人のブログで何を書いているかを横流ししたり、そのブログを勝手に変更することもできる。

そのような連中は、インターネットの知識があるからといって、権力を握っているつもりだろうか?

インターネットは透明性を標榜されているが、このような連中がのさばっているようでは使う意味が無くなってくるだろう。

中国の当局がモニターリングしている方が、かえって規制があるだけ良い。

何故なら、法的な規制下にあるからだ。

日本でも、薄汚い連中がインターネットでのさばらないように、法的に監査をする必要があるのではないだろうか。

もし違反があれば、そのISPの業務停止も止むを得ないだろう。

そして、如何に最新の技術や知識があろうとも、そのような連中は、人間としての常識を欠いているといえるだろう。

インターネットの世界も、もし一切の法的保護が無くなれば、詐欺や脅迫などが横行し、

たちまち廃墟となってしまうのである。

インターネットサビースを提供するものは、良き政治と同様に、そのコミュニティが栄えるように配慮しなければならない。

その為には、犯罪捜査を除いて、どのようなものに対してもプライバシーを保護できなければならないのである。

著作権を含めて、すべての法的な保護に留意しないようであれば、刑事・民事の責任のみならず、業務の停止も有りうることを、経営者はすべての従業員に徹底する必要があるだろう。

そして、顧客ファイルへのアクセス記録を検査して、不要かつ不適当なアクセスが無いかを管理し、そのような行動を見つけ出した場合は、説明を求める必要があるだろう。

顧客に対するサービスの品質という点では、このような監査を適正に行っていなければ、何れその企業は問題を起こすことになる。

契約と責任がすべての社会の基本である。例え、無料のサービスであっても、利用者のプライバシーを侵す権利は無い。

そしてプロと呼ばれるものは、無駄な自己顕示欲ではなく、そのような自己抑制能力がなければならない。

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2009年1月19日 (月)

恵の力

恵と言いますと、何を連想されるでしょう?

恵むと言う時、与える人と、与えられる人を連想するでしょうか?

それとも思わぬ幸運が訪れることを連想するでしょうか?

古代では、天候が順調で、収穫が多かった時に、恵みを感じたことでしょう。

干ばつが続いて、田畑が乾ききり、人々が苦しんでいた時に雨が降れば恵みの雨だったことでしょう。

世界中で、雨乞いの祈祷が行われていたのではないでしょうか?

長雨が続いた時には、逆に 太陽が姿を見せることが、恵みであったことでしょう。

そう、恵は、天、ないしは神から、地にいる人への恩寵であり、情けであり、慈しみであったのではなかったでしょうか?

そして時代が下り、やがて 時には王侯から、また富豪から、下位ないしは貧乏人への寄付などが、恵みとなっていったのでしょう。

産業革命、そして科学の世紀が到来した時、神の恵みはどうなったのでしょうか?

単なる言葉による救いを説き、科学的な合理性を排除した神学は、現実的な物質的な恵みをもたらす 科学の恵みに その領域を後退させていきました。

今日、CDでモーッァルトの室内楽を聴く時に、私達は王侯のような贅沢を味わうことが出来るのです。

また、TVを付ければ、世界中の観光地の様子を知ることが出来るのです。

そして、インターネットを通じてと、その恵みを感じることが出来るのです。

その意味では、神に愛された天才達とその学問を発展させ、発明を行い、人々に有益な商品を生産し、流通させる人々、そして平和な世界を保ち更に発展させようと努力をしているすべての人々に感謝をしたいと思います。

勿論、神の言葉を正しく伝えることによって、それまでの迷信や誤った慣習を是正し、社会的に不運なる人々を救済しようと努力をされてきた、宗教者の方々のご努力を、正しく評価しないとすれば、それは科学的な精神に反する不公正な見方となるでしょう。

そして、科学の力を間違って使えば、人類に滅亡の危機をもたらしうることも、貴重な歴史的な教訓であると思われます。

自らの力におごり、溺れる時、人は思わぬ失敗を行うものです。

「他人にいるところへ少し降りなければ、自分のいる高所へ他人を引き上げることはできない」                                  (アウグスチヌス)

「知恵の鋭さを弱め、知恵によって起こる煩わしさを解きほぐし、知恵の光を和らげ、世の中の人々に同化する」                    (老子)

私たちは、多くの人々の教えを謙虚に受け止めつつ、その限界をも知ることにより、正しくその教えを継承することが出来るのではないでしょうか。

生命としての染色体を受け継ぐ子供の数は限られていますが、人類に残された「知的な染色体」は広く引き継がれていくことでしょう。

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2009年1月17日 (土)

新約聖書の謎 その3

マリアと言う名前は、カトリック教会では、聖母マリアという呼ばれ、キリストと並んで崇拝の対象とされています。

新約聖書には、もう一人マグダラのマリアと呼ばれる女性が登場します。

俗説には、キリストの愛人などと取り沙汰されていますが、キリストに香油を掛けて疲れを癒した女性で、娼婦とされています。

この女性はキリストの復活に立ち会うのですが、これは有り得ない話とされているようです(実は、もう一人聖書にはキリストに関係して気になる女性が登場します)。

イタリアの美術館や教会で、数多くの芸術家によって描かれたきた聖母子像のモデルは勿論 生母のマリアです。

フィレンツェの美術館では、ラファエロなどの優しい母親、リッピの優雅な母親に抱かれた 赤子のイエスなどがが見られます。

さて、このようにマリアという女性が崇拝の対象となったのは、一つには 神の子を宿した唯一の恵まれた女性であるということのようです。

しかし、もう一つは 旧約聖書のような砂漠の世界とは異なって、ルネサンス期までには女性の地位が向上していたとも考えられると思われます。

それはさておき、何故 マリアは処女でなければならなかったのでしょうか?

まったく、イエスの誕生がフィクションでないとすれば、一つのドグマが存在しているように思われます。

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「アイク ヌオーボ」 角田 風士 新しい感覚的俳句  電子本      210円

On Demand 本 840円

 
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「四国旅行記」 長谷 祥弘  電子本       525円

          On Demand 本  1260円

続く

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新約聖書の謎 その2

新約聖書を読むときに、誰しもがフィクションとしか考えられませんが、それを抜きにすると宗教としてのキリスト教が崩れてしまう点は何でしょうか?

旧約聖書を読むと、そこにはユダヤの預言者、賢者が数多く存在します。

例えば、モーゼはエジプトから脱出させ、シナイ山で十戒を神から得、約束の地カナンに導きましたし、ダビデ、ソロモンの両王、バビロン捕囚の時にエレミアなどが例です(モーゼがエジプトを脱出できたのは、ヒッタイトの台頭に苦しんだエジプトの足元を見たからだと思われます。カデシュの戦いで苦戦したエジプトには、パレスチナに再進出する力が無かったのでしょう)。

これらの預言者に共通している点は、何でしょうか。 そう、神は降りられたのです。

彼らは、神の声を聞くことができましたが、キリストとは決定的に異なります。

そう皆さん、もう分かりの通り、これらの人は全て「人の子」なのです。

そして、キリストは、預言者であるだけではなく、「神の子」なのです。

神の子たるゆえに、 マリアは処女懐胎をしたのです!?。

御使いがマリアのところに来て言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。」

受胎告知という、数多くの名画に描かれているお話ですが、今日こんな御伽話を信じる人はいないでしょう。

女性が単性生殖で男性を生むということは、染色体を考えると、とても有り得ないフィクションです。

そして、この点は昔から 初な子供を除いては信じてはいなかったことでしょう。

では、何故 マリアは処女懐胎をしなければならなったのでしょうか?

続く

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心と体, 文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月15日 (木)

新約聖書の謎

今日、西洋諸国においては 未だに聖書と自然科学を如何に捉えるかが問題となっています。

これは、ガリレオ以来の問題であるようですが、徐々に 科学を教えることの重要性が認識されてきていることは皆さんご存知の通りです。

例えば、ガリレオ、デカルト、スピノザ、ニュートンの時代を思い起こして頂ければ良いのでしょう。

そして産業革命の時代に入り、科学が地上にもたらす恩恵が、神の世界を遠くに追いやったと言えましょう。

どこにあるのか宇宙の果てか、素粒子の中か、生命誕生の謎というところかもしれません。

それに対して、中世までは、神が世界が創造され、天変地異も、疫病も神の怒りでしたので、世界は神で満たされていたのです。

神の言葉に従うか、怪しげな魔法使いにすがるしか、このような災難を逃れるすべはなかったです(あちこちに、魔法使いや悪戯な妖精が居たようですが)。

例えば、グーテンベルグの活版印刷が発明される前、書物は羊皮紙にペンで書かれており、教会ではラテン語で書かれた聖書から、司祭が教えを説いていたとしましょう。

都市に存在する手工業業者と商人を除いては、人口の大半は農業に従事し、衣類も日用品は羊毛を紡いだものなどを織っているような 自給自足に近い社会であったとします。

そこでは、知識は、貴族、聖職者などが独占しており、聖職者になる他には知識を得るすべはないという状態です。

そして、照明はロウソクぐらいですから、まさに「暗黒の時代」であったことでしょう(これ対して、今日はインターネットで世界が結ばれており、情報は即座に伝えられるのですから、まったく知的な意味では雲泥の差と言えるでしょう)。

続く

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2006年6月 4日 (日)

ヒマジンの詩

イマ人 no heaven

ヒマ人 in heaven

Imagine the coolest people has no heaven

           the retired people is in heaven

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2006年5月28日 (日)

お知らせ

<お知らせ>

フォトアルバム<日本の風景>に赤目の滝を追加しました。

旅に出ると詩想が脹らみます。万葉風の恋歌など幾つか短歌と俳句を作りました中から、一首だけ、ご披露させて頂きます。

赤目滝 流れでし水 田に満ちて 緑の映ゆ 美しの里

                                  (無窓)

The pure  water flowed from the Akame falls,

Saturating the rice fields,

Reflecting the shadow of  grass,

Constitute the beauty of the country

皆さんも気分転換をするのに如何でしょう。デジカメと併用すると楽しみが増えますよ。

昨年来、計画しております短歌集、俳句集、詩集、紀行文集のいづれかは、仕事の都合もありますが、この秋を目途に出版したいと思っております。その節は、よろしくお願い申し上げます。

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2006年4月25日 (火)

尼崎のJR事故を悼んで

JR西日本の事故から、1年が経ちました。この事故で亡くなられました多くの犠牲者と事故の後遺症に悩む方に拙い歌を捧げさせて頂きます。

生と死が一瞬の間に別れたり

                  悩みある時思い起こせよ

                              (無窓)

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